インタビュー|TSUMUGUプロジェクト

 TSUMUGUプロジェクトは、福島県いわき市を舞台に「この土地で紡がれてきたものを掘り起こし、今ここで生きる人々の日々の営みや様々な思いを織り込み、彼らとともに紡いでいく」ことを目的としたアートプロジェクト。まず最初は、いわき地方の郷土芸能である「じゃんがら念仏踊り」と、それを取り巻く人々の声を記録していくことを計画している。このプロジェクトは、いわき市に住む会社員、田仲桂さんの想いが発端となっているが、沖縄県コザで活動する、アーティストを中心としたグループ「スタジオ解放区」も関わっていくことになった。プロジェクトが立ち上がっていくまでの過程を田仲さんに伺った。



—郷土芸能には、もともと関心を持っていたのですか?

田仲|実家が兼業農家で、古文書があるような家で育ちました。「じゃんがら念仏踊り」や「獅子舞」が非常に身近なものとして存在していたこともあって、子どもの頃から、郷土の歴史や芸能に興味を持っており、大学でも歴史を学んでいました。大学を卒業してからは、ずっと東京に住んでいたのですが、2008年にいわき市へ戻ってきました。いまは、前々からやりたいと思っていた、獅子舞に参加し、横笛をやっています。自分の地区のじゃんがら念仏踊りにも参加しています。
 一方で、いわき芸術文化交流館アリオスが主催する市民参加型の事業に参加したことがきっかけで、アートプロジェクトにも関心を持つようになりました。職員の森隆一郎さんにアサヒ・アート・フェスティバルのネットワーク会議(全国の参加団体が一同に会する会議)というものを紹介して頂き見学しに行きました。そこで、全国各地で様々なことをやっている人がいることを知り、自分の世界が広がりました。これはおもしろそうだ!と思ったんです。
「失われつつある郷土芸能や祭りに対して、なにかをしたい、でも、どうすれば良いか分からない」と思っていた矢先だったので、そこで繰り広げられているプロジェクトは、なにか方法を教えてくれるであろう予感めいたものを感じました。また、映像ドキュメンタリーを撮影することを通して近江八幡市の伝統行事を復活させた、「ひょうたんからKO-MA」さんの「ほんがら」の映像から、なにかヒントをいただいたように感じました。



—沖縄の「スタジオ解放区」さんとは、どのように出会われたのですか?

田仲|全国各地でいろいろな活動があるのを知り、実際に行かないと絶対にわからない、見に行けるとこは現地へ足を運ぼうと思い立ったんです。青森、八戸、東鳴子、大河原、深川、横浜、大阪、淡路島、岡山、別府、そして、沖縄を訪問しました。その中でも、沖縄市コザのスタジオ解放区の活動は、非常に深く印象に残りました。
スタジオ解放区は、コザというまちが、時代とともに変わっていくことを受け止めつつ、未来へ託していくプロジェクトをやっています。この、土地の記憶をつないでいくという取り組みに興味を持ちました。
 私自身は、これまで、郷土芸能や歴史など、過去を見ていく視点でいたので、彼らの活動を通して、未来を見ていくという視点に気付かされたんです。
その後、アリオスの企画で彼らがいわき市でアートプロジェクトをすることになりました。それが縁で個人的にやりとりを続け、交流が深まっていきました。
震災後の5月、小学校でのアートワークショップのために、スタジオ解放区のメンバーがいわき市にやってきました。彼らと再会し、震災で抱いた危機感について、話をしました。



—田仲さんが、お話しした「震災で抱いた危機感」とはどんなものだったのですか?

田仲|津波や原発事故によって、分断されていくコミュニティ、失われていく人々の記憶、この土地で生きてきた人の土地に対する思いが、津波で流されたこと、原発事故によって奪われたことなどです。
 いわきでも海沿いの地域は、被害がひどく、なにも残っていません。私の知人にも亡くなった人がいます。
祖母の代から家族ぐるみでつきあいのあった知人らが、一瞬のうちに亡くなってしまったことに対する衝撃と、つながってきたものが、そこで途切れてしまうということへの恐怖や不安、「とてもイヤ!」という感情があります。
さらに福島は、津波のみならず、原発の問題が発生しました。双葉郡に福島第一原発があるのですが、私の高校時代の友達は、そのあたりから通っている人も多かった。その人たちが、土地を離れざるを得なくなり、今後も戻れない可能性がないといえません。それまで続いていたもの、その土地で生きていくという当たり前のことが、ある日突然できなくなったことに対するやるせなさ、やりきれなさがあります。
 私はもともと、獅子舞(祭)を通じて、人や世代がつながっているということに興味を持っていたんですが、この震災で、さらにそれを強く意識するようになりました。私は「紡ぐこと」を象徴するものとして、郷土芸能を見ていたんだ、と気付いたんです。そして、これまで紡がれてきたものを、もう一度きちんと紡いでいきたいのだ、という思いが確認できました。そういった話の中で、スタジオ解放区のメンバーが「一緒になにかしよう!」といってくれたのです。



—プロジェクトの内容はどのように決まっていったのですか?

田仲|彼らと再会した後に、偶然、じゃんがら念仏踊りをやっている泉崎青年会の鈴木さん、下神谷青年会OBの石井さんという方に会ったんです。じゃんがら念仏踊りは、集落によって踊りが異なるので、泉崎や下神谷の練習風景を見学させてもらえませんかと頼んでみたところ、快く引き受けてくれました。そして、幅広いつながりを持っている彼らが、ほかの地区の青年会も紹介してくれることになりました。
スタジオ解放区のメンバーと再会し、「何かしよう」と言ってくれたこと、じゃんがら念仏踊りを大切に守っていこうと考えている方々に出会ったこと、という偶然が重なったんです。
 そして、次の日の朝の車の中で、スタジオ解放区のメンバーに、何気なく「TSUMUGUプロジェクトって名前はどうだろう?」と言ったら、「それだ!」ということになったんです。名前が決まってからというもの、俄然、動きが早くなりました。それまでは、漠然とした、私個人の思いにすぎなかったものが、名前ができたことで、郷土芸能や、それに関わる人想いを「紡ぐこと」というコンセプトの共有ができたんだと思います。プロジェクトをはじめるなら、資金がいるよね、という話しになり、企業メセナ協議会さんがやっておられるGBFundに申請したところ、支援を頂くことができました。TSUMUGUプロジェクトを立ち上げるための調査をはじめています。



—プロジェクトを通して、何を実現していきたいと思っていますか。

田仲|実際に、じゃんがら念仏踊りや獅子舞を練習しているところを訪問し、やっている人たちと時間を共有して、そこでなにが行われているか、目の前に広がる出来事の意味を捉え直し、人と人との関係性がどのように培われ、経験や知恵、考え方が次の世代にどのように紡がれているのかをきちんと知り、伝えていきたいと思っています。
同時に、その地域に代々受け継がれている郷土芸能を通して、津波で亡くなった方、流された土地や建物、風景に対する追悼をしたいと考えています。じゃんがら念仏踊りは、もともと新盆を迎えた家を回る供養であり、踊る人々の想いとも共通しています。
 プロジェクトでは、練習風景やお盆のときに新盆の家を訪問して踊るじゃんがら念仏踊りの光景、そして、踊る人々と招く人々、彼らを取り巻く人々の声を映像で記録していきます。話を聞き、映像に残すことで、人々の想いを留めたいと思っています。
3年とか5年、これを続け、震災後の風景として残していきたい。そして、最後には、そこに住んでいる人、じゃんがら念仏踊りをやっている人、紡いでいる人、みんなに捧げたい。
 映像を通して、福島に生きる私たちが、何を考えてきたか、何を見ようとしてきたか、その想いを紡いでいきたいんです。そして、「紡ぐ」ということはどういうことか、「(次世代に)繋いでいく」ということはどういうことか、「この土地で生きる」とはどういうことなのかを、考えていければいいと思います。





※じゃんがらについて
じゃんがらについては、TSUMUGUプロジェクト公式ブログ「じゃんがら考」を参照ください。
http://tsumugupjt.exblog.jp/13537876/


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