活動レポート|ビルド・フルーガス×出来事のホームセンター

 ビルド・フルーガス『飛び出すビルド!』」(宮城県塩竈市)と、ビルド・フルーガス所蔵作品の保護と塩竈と前橋の地域間交流に取り組まれた「『文化保護縫合プロジェクト』(任意団体・出来事のホームセンター)」(群馬県前橋市)について、ビルド・フルーガス代表の髙田彩さん、篠塚慶介さん、出来事のホームセンターの中島佑太さんに、これまでの活動についてお話しを伺った。いずれも、アートNPOエイド活動支援プログラムを通じて、活動支援金をお渡しさせていただいている。
▲ 左からビルド・フルーガス髙田彩さん、アーティストの中島佑太さん、デザイナーで、ビルド・フルーガスとともに活動をしている篠塚慶介さん。この日2012年5月26日は、群馬県前橋市中心市街地にあるミニギャラリー千代田を会場に、「でんでん虫と羅針盤」の報告展+トークが開催された。


この1年間の活動を振り返る

髙田彩(以下、髙田)|ビルドフルーガス自体が、津波の被害を受けたということもあり、すぐ支援できる状況にありませんでした。でも、自分たちにできることとして、避難所のこどもたちへの文房具の配布*1、ミニシアターの出張上映会*2やアートワークショップ*3をやりました。

篠塚慶介(以下、篠塚)|はじめは、支援をするというよりも、自分たち自身が立ち上がろうという意味合いが強かったんです。
まずは自分達に負担のない形で、少しずつ前を向いて日常生活を取り戻しながら、周りの人たちのため、友達のため、家族のため、そして家族の友人のためと、ちょっとずつ支援の輪を広げて行こうと文房具の配布や映画上映というのをはじめました。

中島佑太(以下、中島)|僕は、瓦礫撤去作業を手伝うつもりで現地に入りました。髙田さんたちがこどたちのために文房具を集めているというのを聞いて知っていたので、中古品の文房具を集めて持って行きました。直接津波を体験された方が、こんなにも早く自分達で立ち上がって動いてるんだ!ということに驚いて、僕たちが支援活動をするんじゃなくて、地元の人たちが立ち上がって活動することをアシストできないかと考えました。

髙田|それと同時進行で「はこび」*4が始まったんですよね。

中島|そうそう。髙田さんたちと一緒に避難所に文房具を持って行ったときに、ちょうど停電していたということもあるかもしれませんが、やっぱりというかなんというか、避難所の雰囲気が重く感じたんですね。この重さはなんだろうと。みなさんのご好意で届けられた物資の入った段ボールが、開けっ放しになって置かれていて、誰でも持って行けるようになってるんですけれど、僕らからしたら、それがちょっとドキッとする雰囲気。

髙田|届けるまでの意図や想いと、現地に物資が届いた時の状況にギャップがありすぎたというか…。そのギャップを埋め合わせることができたのが「はこび」です。ただ段ボールに入れてものを配るのではなくて、キッズコーナーみたいにキレイにできたらいいねということで、パステル調のカラーで段ボールを塗って届けました。
中島君たちとの関係は、そこから始まりました。

中島|ビルド・フルーガスで、お茶を呑んでいたときに、ちょうど余震があったんです。余震があると津波が来るんじゃないかという緊張感から、みんなパッと身構えるんですけれど、そのとき髙田さんの口から出た言葉が、「どうしよう、津波が来たら作品が!」ということでした。僕もアーティストだから作品がすごく大事なのは分かるんですけれど、作品より命だろうとどうしても思うじゃないですか。
ご商売でもあるし、好きなことでもあるから作品のことを大事にしている気持ちがあるのはわかるんだけど、もしそれで一歩出遅れて命を失ったらどうするんだろうと思って。それで、もし前橋で作品を預かることができれば、そういうこともないかなと。当時は、わりと軽いノリでそんなことを話してたんですが、前橋の学芸員からもそれが実現できればいいかもしれないとアドバイスをいただいたりして、実現するためにどうしたらいいかと考えるようになりました。そして、ただ預かるだけじゃなくて、こっちで展覧会ができたらいいんじゃないかと思ったんです。
篠塚さんが、「自分たちの日常を一日でも早く取り戻すっておっしゃってましたが、その日常っていうのはどこにあるのかと考えると、もしかして展覧会を準備するってことかもなと。企画書をつくって、DMを準備して、広報して、プレスリリース出して…。前橋という遠隔地であっても、あたりまえにやってきたことを、もう一度取り戻すことで、いままでのリズムが思い出せるんじゃないかなと考えました。
もちろん、現地はそういう状況ではないですから、ちょっとでも展覧会のための必要な用語が使えるだけでもいいんじゃないかな、と。「文字校どう?」みたいな、そういう専門的な言葉を使えば、日常に早く戻れるかなと思って提案をしたのがはじまりでした。
そして、作品といっしょに塩竈の人が前橋に来れば、そこに交流が生まれるだろうし、被災地支援ではあっても、もっとポジティブに、その先にある地域間交流のようなクリエイティブな関係づくりができるんじゃないかなと思ったんです。
作品を展示するだけじゃなくて、お客さんには食べ物を持ち寄ってもらったり、ワークショップの企画をもちよってもらったり。塩竈から人に来てもらって、ご挨拶をし、名刺交換をし、酒を呑み…そこから、いろいろなアイディアを交換し合うというのを、昨年の夏ぐらいにやりました。*5
▲撮影:木暮伸也

前橋の方々と地域間交流をやってみて

髙田|去年は、計画していたようで、じつは計画していなかったんです。その場その場の状況に対応して取り組んでいたことなので、振り返りがすごく難しい。今年の4月になってから、マインドがリセットされたような感覚です。今思うと、3月までは、自分の心の復興がおこなわれていなかったので、まだ被害妄想もあったかもしれません。
たとえば、地域間交流に関しても、去年取り組んだときは、自分たちの活動の復興にもなるんだというのがモチベーションになって動こうとしていました。去年の時点で、展覧会を企画するとか、チャリティー展をしていますというのも、すべてに対して「本当の支援とはなにか?」「立ち上がるにはどうしたらいいか?」という自問自答が多かったなぁと感じます。それが今日、「地域間交流」を目的に前橋いることが、当たり前に感じていて、「つぎはこれでしょう!」と「やりたいこと」として、純粋に事を進めている自分に、心の混乱を感じてしまうほどです。
中島さんに改めてプレビューしてもらうと、「ああそうだ、あのときはああいう状況に私はいたんだ」という感じなんです。いまの心の状況も、まだ復興過程の段階なのかもしれないので、自分が正常な状態なのかわからないですし。自分は精神的にも立ち上がったと思っていましたが、この4月になって、昨年は無我夢中に現状に向き合って突っ走っていたんだなぁと改めて感じます。いまは逆にすごく楽しくて明るいんですよね。これは内面的な話しなんですけれど。
まだ私は、自分で企画しているという感じではなくて、誰かを支援出来ているかもわからないです。一緒に動かせてもらうことでリハビリになっていて、このリハビリがいつ自分主導で誰かをリードできるかは、まだわからない。まわりから提案をいただきながら動き続けているという状態です。人の心ってこんなに変わるんだっていうぐらい、去年とメンタリティが違うんです。つぎどういうふうに展開していけるのか、自分たちが被災地という感情を背負わなくなったとき、どういうメンタリティなのか楽しみだったりもします。
いまは、地域間交流をやらせていただいていて、支援する側、支援される側という関係じゃなくなろうとしている関係性を実感しています。

中島|もしアートNPOエイドのサポートがなくてもやっていたとは思いますが、やっぱりやりにくいことって出て来ちゃう。被災地支援ってどうしても応急的でニーズが分からないですよね。行って初めて、「こんなところにこんなニーズがあるのか」というのが常だし、行く時期によっても違う。「こんなことやっていいのか俺?」と、半信半疑な状態でやっているところがあるんです。もちろん、基本自費でやろうという思いではやっていますが、保証していただくことで、「やっていいのかな」と思える部分がすごくありました。勇気になるというか。

篠塚|髙田さんが先ほど言ったように、あんまり覚えていないということが確かにあります。節目節目でこういうことをやったなというのは、すごく覚えているんだけど、裏にある日常生活のことって、あんまり覚えていなくて…。最初に、文房具を配ろうと思ったときのことは覚えているんだけど。

髙田|そう、あのときの感覚は思い出せない。恐怖とかもいろいろあったけれど、あの感覚っていうのは、あのときしかない。
人間の忘れる能力って本当にすごくて(笑)。自分の性格なのもしれませんが、前に進むには、リセットするんだなと思いました。不思議ですよね。
以前アートNPOエイドでインタビューを受けたときの動画をみていると、あのときはこういう感覚で話してたんだなと客観視できるぐらい。あのときに戻るんではなくて、客観。その意味でも記録って大事だなと知ることができました。
地域間交流はまだはじまったばかりですが、いままで自分の中でプロジェクトと捉えてなかったのが、いまはいい意味でこのプロジェクトを成功させたいという欲が出てきました。欲って大事だなと(笑)。それが日常性を取り戻すということに、自然にシフトしてきています。

篠塚|去年一年間、高田さんと一緒に文房具を配り始めたころに、僕のなかで目標にしていたのは、まずは手をあげようということでした。手をあげないと、誰も見向きもしてくれないし、そこに何が必要なのかもわからない。支援よりもまずは自分たちで手をあげて、「ここに塩竈がありますよ」、「篠塚がいますよ」、「髙田彩がいますよ」、私たちはここにいて、玄関を開けていますよということを示そうと思いました。するとそこに中島君とか、いろんな人たちが来てくれて。今度は、僕らの方から前橋の開いている玄関に向かって行く。お互いのルートができ、お互いにどういう人がいるのか、どういう技術がここにあるのか、どういう地域の特性があるのか等、去年1年間かけてゆっくりわかってきました。
これからはたぶん、あげた手を一本一本つないで行くような、そういうイメージでやっていくのがいいのかなと思います。

髙田|被災した経験からのこの感覚は自分でも初めてのことで、私も被災するまでわからない感情と感覚です。この経験を、声としてあげていく。もう立ち上がれるのか、どのようなメンタリティになっているのか等、繊細な部分を伝えていきたいですね。
その状況を伝えることで、現地のニーズや震災ということを少しでも理解してもらえるかもしれない。そういう役割も忘れてはいけないと感じています。貴重な経験をしたので、それは意識的に伝えていきたいなと思っています。

中島|僕の場合は、それを前橋の人にも知ってもらいたいという思いがあります。被災地と前橋は、遠いといえば遠いので、気軽に泥かきにいける距離でもなかった。みんなテレビで見ていて、もどかしい思いをしていた状況だったから、「はこび」は、前橋のアーティストができることをつくるという意味でも機能していた。アートNPOエイドで支援してもらった「文化保護縫合プロジェクト*6」をやって、こっちでなにができるのかということをアーティストや美術関係者が考えることができたんですよね。
ただ、今回の活動に取材をしてもらったんですが、被災地支援というところが冠になってメディアが食いついて来ている感じがあるんです。それを、いつどのタイミングで、「被災地支援じゃないですから、勘違いしないでください」と言えるのかというと、前橋はまだまだかもしれないですね。もちろん、半分は支援なのかもしれませんが、被災地支援じゃなくて、交流ですから、ただの交流ですからっていつ言えるかな。

篠塚|住んでいる人からすると、宮城県とか塩竈がどういう風にみられているかわからない。自分達的には元気でやっているつもりでも、いまだに被災地とか、すごい被害があった地域と思われているのかもしれないし…

髙田|以前、記者さんと話しをしていて、塩竈は被災具合が少ないから取材しづらいと伺って、それはそうかもしれないけれど、でもやっとここまで塩竈は立ち上がったんだよと。塩竈は大丈夫でしょと思われる場所であるからこそ、自分たちで塩竈を支えていかなくてはという思いはあります。

篠塚|そうだよね。モノの被害と気持ちの部分での被害が比例しないからね。

髙田|助けてほしいとか、ひどい事を言われたと言ってるわけでなくて、自分たちでちゃんと前に進んでいこうと。塩竈は自分たちの街なのだから、塩竈に対してケアできることは、自分たちでちゃんと取り組みたいなと思いました。

篠塚|僕らがすごいというつもりはないけれど、僕らが手をあげることで、大漁旗をもっている人や市役所の人、商店街の人とかが、わたしもわたしもと一緒に手をあげてくれました。今回の交流のプロジェクトにも、そういう人たちがこれから重なって行く予感がします。

中島|前橋は、まだ追いついていない感じがします。塩竈がすごくうらやましい。高田さんの人柄と僕の人柄の善し悪しがあるんでしょうけれど(笑)
街がでかい分、押しても響かないところもあります。でも今回、関根さんという前橋の傘職人さんが、塩竈の大漁旗で日傘をつくるというコラボレーションができました。まだ一店ですけど、僕も前橋に住んでいてそういう経験がつくりにくかったので、外からの流れで街の人とつながれたのは、すごく嬉しいです。
塩竈に学ぶところがすごくあるから、こういう活動を通して、お互いの地域の問題だったり、いろいろなところを見つめる機会になっていければなと思っています。

髙田|群馬と宮城の違い、文化の違いがすごく分かっておもしろい。芸術もそうですけど、地域の人と関わったりすることで、文化の違いを共有できるのはいいですよね。


寄付者のみなさまにメッセージをどうぞ

髙田|自分は芸術文化に携わっているので、芸術文化に対してがんばれと支援して頂くことで、勇気をもらいました。芸術文化の重要性を信じ社会的に活動する人々を応援してくれているお金だと私は捉えていて、普通の寄附金とはまた違う意味合いを感じました。そういうことを信じてくれる方々の存在や力、芸術文化で立ち上がれると思えたのは大きかったです。
責任もあります。ぜったい無駄にはしないというか、必ず文化の必要性や可能性、できることを自分たちの活動を通して提示していきたいと思っています。ですので、引き続き、芸術文化を信じて応援くださいという想いです。

中島|震災直後から、アーティストになにができるのかということがアート業界でよく話題になりましたよね。僕はどちらかというと、それはやるべきではないと思ってスタートして、結果的にこうなっているんですが、アーティストが現地に行くと見えて来るものがあると思うし、アートとかアーティストの社会的役割や社会的責任みたいなものが、拡張される機会にはなったと思うんですよね。それがよかったのか悪かったのか、これからどうなっていくのかは、いまはまだ分からないかもしれませんが、とくに僕ら若手にとっては、ヘンな言い方かもしれませんが、いい機会になったと思います。
これからのアートは変わって行くのかなと思うと、その局面をみられたのは僕にとって貴重だったし、なによりも僕の場合は、塩竈の人たちとつながれたというが一番大きいです。

篠塚|いままで、たとえば絵を描くとか、彫刻をつくるとか、きれいなものをつくるとか、そういうのが芸術、アート、デザインと言われることが多かったと思います。
ですが、今回支援して頂きながらいろいろと動いていく中で、個人個人が社会の中でいろいろな役割をもっていて、それぞれが関わっている地域になにをしていけるかを考えて行動していくこと自体がクリエイティビティーであって、文化芸術的な活動なんだなと改めて痛感させられました。
今回、それを信じて支援してくださっているので、私たちにとっても、励みになりましたし、これからもっと活動を広げていこうという思いが強くなりました。

以上


インタビュイー:髙田彩さん(ビルド・フルーガス)
        篠塚慶介さん(ビルド・フルーガス)
        中島佑太さん(現代芸術家|出来事のホームセンター)
インタビュアー・文責:樋口貞幸(アートNPOリンク)
インタビュー:2012年5月26日・前橋にて


*1 文房具セットの配布 ビルド・フルーガスでは、東日本大震災の発生直後からチャリティーで全国各地から文房具を集め、避難所のこどもたちに届ける活動を行っていた。

*2 *3 飛びだすビルド!のワークショップ http://www.birdoflugas.com/workshop/ 2007年にスタートした出張アートワークショップ。幼稚園や保育園などで、こどもたちを対象としたアートワークショップや映画上映会を開催。震災後は、これまで関わりのあった施設などを中心に、アートの力で前向きな気持ちを取り戻し、明るい未来を創造するをコンセプトに積極的にワークショップを実施。

*4 はこび http://houseof.exblog.jp/13416219/ 支援物資を整理する段ボール箱にカラフルな絵を描き、避難所に届けるプロジェクト。ビルド・フルーガス髙田彩さんからの「避難所に置かれている支援物資を整理する段ボールを、前橋のアーティストでつくれないか?」という相談を受け、前橋市在住のアーティスト中島佑太さんの声かけに賛同したアーティストや学生たち等のべ50名ほどが取り組んだ。被災地の緊急的なニーズに応えるべく、呼びかけから塩竈に届けるまで、5日間で敢行した。

*5 *6 文化保護縫合プロジェクト http://d.hatena.ne.jp/hogohogo/ 塩竈の文化と前橋の文化を縫い合わせていく地域間交流被災地支援アートプロジェクト。塩竈と前橋の交流企画展「でんでん虫と羅針盤」を開催し、ビルド・フルーガスの所蔵作品を前橋で保管・展示するとともに、塩竈のアートシーンを紹介。トークイベントやワークショップなども開催している。

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