コラム|「これからの社会を考える」ということ

山田創平 (京都精華大学人文学部総合人文学科専任講師・NPO法人関西エイズ対策協議会理事・NPO法人アートNPOリンク理事)

 6月のはじめ、この文章を書こうと京都市内の喫茶店に入り、何をするわけでもなくぼんやりと窓の外を眺めていた。世の中には、本当にいろいろな人がいる。幸せそうな人もいれば、あまり元気のない人もいる。見ただけではわからないが、大きな困難や悲しみに直面している人も少なからずいるのだろう。色鮮やかな人もいれば、そうでない人もいる。曇り空の下、足早に歩み去って行くその人々を見つめながら、いつも思うことがある。ここにいる人々も、そして私自身も、100年後には誰もいない。ここにいるすべての人々は、100年後にはたった一人の例外もなくこの世には存在しない。私も、私の大切な友人やパートナーも、100年後の社会を見ることはない。
 ならばなぜ、私は(あるいは私たちは)「これからの社会」について考えようとするのだろう。そしてそれは誰のためなのだろう。100年後には、私も、私の愛する人々も、もう誰もこの世にはいないのに、それでも私たちが原子力発電の是非や、拡大する格差や貧困問題、グローバリズムや新自由主義の台頭、ジェンダーやセクシュアリティをはじめとする、さまざまな差別や社会的排除といった「諸問題」に対峙し、それらが少しでもましになるのは100年後かもしれないのに、それでもよりよい未来を構想すべく議論しようとするのは、なぜなのだろう。それはおそらく他者を信じるということ、ひとを愛するということと関係がある。
 いま、私たちは、他者を尊重するということ、隣にいるその人を愛するということ、人が人を理解するということが「可能である」と、どれほど信じることができるだろうか。「リンゴ」という言葉を聞いたときに、それぞれの頭に思い浮かぶリンゴ像は、すべて微妙に異なるはずだ。コミュニケーションは言葉(記号)でなされるが、言葉(記号)の受け取り方は人によってすべて少しずつ異なる。コミュニケーションは、常に、宿命的に不完全なものでしかありえない。だが同時に、一方でその不完全性を前提としつつ、それでもなお、そこには互いの理解を近づけてゆく無限の可能性が開かれているとも言いうるだろう。別の言い方をすれば、私があなたを「100%理解すること」はありえない。だが「1%も理解できない」ということもまたない、ということだ。そしてそのパーセントを少しでも上げようとする意志が、社会について考え、人々が連帯し、未来の社会をよりよいものにしていこうとする出発点になると私は考えている。そしてその時、芸術表現は他のなにものにも代えがたい重要な役割を果たすことになるだろう。
 窓の外を過ぎ行く人々も、大切な友人や恋人も、家族も、あるいは私たちの誰もが出会うことはない100年後に生まれ出でる人々も、私にとって100%通じ合うことはないが、しかし、否定しようのない「数%の理解」を共有した「他者」だ。ならば私は、そのような「他者」に悲劇や困難があるとき、たとえ結果が出るのが50年後だとしても、それらを何とかしようと行動すると思う。私自身が果実を受け取ることはないかもしれないが、「他者」や「未来の他者」のために苗木を植えようと思うだろう。アートNPOエイドは、そのような試みだ。
 原子力発電所が爆発し、毎年数万人の人々が自殺し、階級間格差が日々開いてゆくこの社会の底は、そう遠からず抜けてしまうだろう。その絶望の淵にあって、私たちがその「数%の理解」をどれだけ信じることができるかが、いま問われている。結局はわかりあえない、そして世の中も変わらないのだと全てをあきらめることもできる。そういう選択肢を魅力的に思う時もある。でも、あと少しだけ信じてみることもできるかもしれない。他者を尊重するということ、人が人を理解するということ、すなわち人が人を愛することが、今この時、どれだけ可能なのかということが、強く問われている。


2012年7月13日 公開
寄稿:山田創平
アートNPOエイド・伝えるプログラム

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