活動レポート|ドキュメンタリー映画『なみのこえ』

津波被害者へのインタビューを通してドキュメンタリー映画を制作する二人の映画監督、濱口竜介さんと酒井耕さん。「なぜそこに住み続けるのか」という素朴な疑問から、ドキュメンタリー映画「なみのおと」とその続編的映画「なみのこえ」がうまれた。彼らの被災地での活動と、いまの思いを語っていただいた。
この活動は、アートNPOエイド活動支援プログラムの支援対象活動として寄附を募集している。
016|ドキュメンタリー映画『なみのこえ』の記録製作に対する支援


アートNPOエイドの活動支援によってできたこと

濱口竜介(以下、濱口)|仙台に拠点をもって、インタビュー記録をしています。活動支援金は、その滞在費に使わせていただくことができました。
「なみのおと」という映画をつくりましたが、それは、東北沿岸部で津波の被害を受けた方にインタビューをしたものです。去年の8月くらいで「なみのおと」はいったん一区切りを付け、11月くらいから新しく「なみのこえ」のインタビューを再開しました。「なみのこえ」は、宮城県の気仙沼市と福島県の新地町に地域を絞って、それぞれ10人ほどの方のかなり長いインタビューを撮っています。東京出身の我々が活動できているのは、ここに拠点があるからです。

酒井耕(以下、酒井)|気仙沼と新地町を行ったり来たりしています。同じ地域に何回も行くということが出来たのは、仙台に拠点を持てたから。一回行っても、何も聞けないときもあるので、こっちにずっといないと撮れないものがあるんです。
あと、人に合わせることができますよね。仕事をしていたり、違う生活リズムを持った人と会うので、こちらが相手に合わせることができました。

濱口|「なみのこえ」以外にもうひとつ民話の記録の活動もしています。宮城県の山間部に伝わっている口承、口伝えの民話です。民話の採話活動を長年やっておられる「みやぎ民話の会」の方たちと一緒に、民話の語り手による〈語り〉の記録活動をしています。これは、津波の被害のインタビューとつながると思ってやっています。そこに、どうやってこれから先に津波のことを伝えていくのかというヒントがあるような気がしていて。

酒井|民話は、辛い生活を反映していたり、語りにくいものを別の形で語ってる。その〈語る〉ということを通して、いまでもちゃんと伝わってくるものがあるんですよね。

濱口|そう。権力の抑圧とか、厳しい生活環境の中で、直接的に表現できないこととかが、民話に託されて残っていたり。
民話の記録と「なみのこえ」に通じるテーマは、〈聞く〉ということです。伝えるということばかり考えると、どうしても発信するという方向に考えてしまいがちなんですが、伝える方法として、絶対になきゃいけないのは、聞くという行為なんです。
ちゃんと聞いてくれる人がいるという中でしか、発されないものがあって、そういうものしかむしろ残っていかない。

酒井|聞いてくれるという信頼関係のもとにしか語れないんだなというのがよくわかります。
今回の撮影は、非常に長いスパンでやることができました。「なみのおと」の撮影は1ヶ月ぐらいでしたが、今回の「なみのこえ」は、ほぼ10ヶ月かけることができました。
時間を待つと出て来るものがあるし、時間が経ったことで出て来なくなるものもあります。出て来るものと、出て来なくなるものを合わせながら話しを聞くことができました。

濱口|忘れたり風化したりということが起こりはじめているなかで、聞くということができました。

酒井|話してください、教えて下さいというと、やっぱりみんな思い出そうとしてくれるんです。ほぼ1年たったいま、日常の会話のなかでほとんど語られなくなった震災当時のことを、もう一回語ってもらうということは、逆にいうと、こういう機会がないと話すこともないのかなという気がします。
僕らがインタビューでやっているのは、聞きたいとお願いすることと、言葉が出て来るのを待つということ。

伺っても聞けなかったことが、何度か通うことで聞けるようになるとは?

濱口|最初は、情報しか聞けなかったりします。民話にしてもお話ししか聞けないんですよね。でも、民話の背景にはいつも〈暮らし〉みたいなものがあるんです。そのときの暮らしが、民話を語らせているといってもいいと思います。
たとえば、嫁姑の民話を語るときに、現実の関係を思い浮かべながら話されていることに気付いたり、暮らしの厳しさがこの話に反映されているんだと分かったり。
インタビューでも、単に何が起きた、という情報じゃなくて、それが起きていたときにどういう気持ちだったかを伺えるようになりました。

酒井|いままで出て来なかった言葉が出て来くることってあるんです。
言いたくなる瞬間をどうつくるか。「伝えたいことはなんですか?」みたいなことは、聞いてはいけないし、本人が自然にしゃべりたくなるのを待たないといけない。話したい、聞いてもらいたいと思ってしゃべった言葉が、一番映像に撮る意味があるものだと思います。それって表情にも現れてくるんですよね。

映像という記録の方法について

濱口|僕たちのやり方というのは、基本的には親しい間柄の二人一組のペアをみつけて、その人たちに、3月11日のことを軸にして、そこから起こったことや、それ以前のことを話してもらうというやり方をしているんです。そのときに二人の間で起きる、なんというのか、ある種の濃密な……

酒井|空気みたいな。
二人がしゃべっている情報ではなく、その話している場所みたいなものが、同時に記録されている。その場をちゃんと保存しておくと、時間が経ったあとも、ちゃんと聞く状態で聞けるんです。

濱口|ちゃんと聞かれた言葉が記録されるし、その人の目線とか、視線とか、聞く姿勢とかも記録される。しかも、話す人だけじゃなくて、聞く側の人の視線とか姿勢も一緒に記録されるんです。聞かれることによってはじめて口を突いて出た言葉が保存されるんですよね。
それがたぶん、物事が伝わっていくうえでものすごく重要なことで、それは体験の大きさとかに関わらないことだと思います。

酒井|言葉といいつつも、言葉の内容とか情報ではなくて、言い方とか、本人の想いみたいなものも一緒についてくる。

濱口|言葉っていうのは、ただ二人をつなぐための言い訳みたいなものとしてその場にあるだけで、この二者間のやりとりというのか、空気みたいなものが撮れているんじゃないかな。

酒井|「なみのおと」という映画が、ロカルノ国際映画祭で上映されたんですが、そこで〈伝わる〉という感覚を持ちました。ロカルノって、場所的に地震もほとんどなく、災害が少ない。あるとしたら大雪とか。自然に対する感じ方が違う人たちに対して、今回の映画を流しても、やっぱり伝わるところは伝わっていました。
そこに住む思いだとか、危険というもの、起きてしまった破壊だったり、理不尽なものに対してどう向き合うかということは、日本人が思っているのとそう変わらず伝わっていた。時間を経た後とか、100年後にこれが見られたとしても、同じように伝わるんじゃないかなという感じがしました。

濱口|まったく基盤を共有していない人たちにも伝わるなにかが、写し取られているってことなんじゃないかな。

印象的な出来事は?

酒井|毎回印象的なことが起きるんですよね。インタビューをしているという状況にも関わらず、親しい二人が、「はじめて聞いた」みたいな事態が起こったり。

濱口|最初に自己紹介をさせるんですよ。知ってる間柄なんですけど、名前を名乗って挨拶をしてもらう。それによって、なにか儀式的な空間が生まれる。すると、お互いの間で、それまでも話されてなかったことが、その場で話されるということがあるんです。

酒井|そんなこと思ってたんだっていうこととか。カメラが挟まっているということが重要なんでしょうね。
そういえば、本来はあり得ないことなんですが、カメラに対して親密な眼差しを向けてくれる瞬間という不思議なことが毎回ありました。

濱口|そうそう、友人に対して語るように、カメラに対して語ってくれる瞬間が毎回あるんです。

酒井|撮影のとき僕らはカメラのモニターをみているんですけど、なんか自分が見られているような、自分を見てくれているような感覚になります。

濱口|僕が最近撮影しながら思うのは、手紙でも書いているみたいな感じ。親しい人に送る手紙みたいな言葉が出て来るという感じがあります。
防災についての教訓めいた言葉っていうのは、すぐに形骸化しちゃうと常々思うんですけど、そういうものに対して実感を与えるような要素がそこにある。
かつて被災した人がいて、その人たちは、以前は僕らが普段送っているような日常的な生活を同じように送っていて、友人達と暮らしていたという当然のことが、ようやく腑に落ちる。

酒井|もっと早く逃げれば良かったよねみたいなことだけでも、ちゃんと伝えられるかもしれない。

濱口|他人事ではなく、僕たちにもこれはいつか起こることなんだなと思うよね。
そんな悲惨なことばかりじゃなくて、こういう大災害があった後でも、こうやって話すことはできるんだなという気にもさせてくれる。

なぜそこに住み続けるのかという問いへの答えは見つかった?

酒井|明確な理解みたいなものは、結局できはしないというところに行き着きました。僕らが完全に分かることは、きっとないだろうと。完全に理解はできないんですが、ただ、そのように思うことが、絶対にあるんだということは実際に見て実感しました。それはなにか思考停止みたいなことでもなんでもないし、忘れるということでもない。

濱口|ものすごく迷いながら、それでもここにいるという感じがします。その人たち自身も、危険性は分かっているし。

酒井|ただ、ほんとうにダメなのかい?ということが、どこかずっと抜けきれないというか。

濱口|単純に、この場所で暮らしていく、ここにいる人たちと暮らしていくということ以外に、想像ができないということはあるんだなと。

酒井|逆のことを考えてみると、ここ以外の場所で暮らすということが、もっとたいへんなことのように感じるんじゃないかな。

濱口|もしくは、ここよりもずっといい生活というものを想像することが、すごく難しいということなのかな。合理的な選択として、ここに残っていると感じます。

酒井|いろんな人のいろんな角度からみたまちの姿を聞いていると、僕らのまちに対する感じ方が、他のまちと違って来るということがあります。

濱口|うん。まちが物語性を帯びるというか、そういう感覚がありますね。あそこの山ねとか、あそこの川ねとか。あそこの海でそういうことがあったんだとかね。

酒井|何度も足を運ぶし、何度もその場所の話しを聞くと……

濱口|これがあの道かとか、これがあの川かとか、だんだんそういう感じが出て来て。それがどんどん増えていく。

酒井|風景写真をみただけで関心を持てないものが、話しを聞くことでそれがすごく立体的になってくる。
このまちを離れないとか、このまちに居続けたいという気持ちは、それなんじゃないかな。

濱口|僕らが持っているよりも、多くの複雑な物語を個人個人が持っていて、その物語がなにより捨て難いというのは、あたり前といえばあたり前なのかもしれませんが、そういうことがあるんだなと考えさせられます。

寄付者のみなさまへのメッセージ

酒井|ここに来て、なにか撮りたいことがあるという人は多いと思うんです。東北地方って思った以上に距離が離れているので、こちらに生活の拠点を置けるということがすごく大きな支援になったと思います。
厳しい冬を越したりとか、こちらに住んでないと至れないようなものがいっぱいある。外にいて想像してなにかをするということとは全然違うということ。ここにいられるということがなによりもありがたかった。
自分の余暇やお金を使ってでは、こういうことって決してできないんだと思います。

濱口|個人の力以上のことをやらせてもらっている。

酒井|僕らみたいに来る人、それを支援する人、つくったものを広げてくれる人、いろんな方がいて、つながっていろんなことをしてくれることがありがたい。

濱口|あたり前のことですが、被災地の人の時間に合わせるということは、ものすごい負荷の高いことなんです。僕らに限らずね。
日常的な仕事をもっていて土日にこっちにくるということでは決して出来ないことがあって、それが、ここに住むことによって、可能になっている。それが一番助かりました。

酒井|これを期に、興味をもってくれたらうれしいです。支援してもらっている活動に関心をもってもらって、被災地への関心が常に続いてくれたらと願っています。

以上


インタビュイー:濱口竜介、酒井耕
インタビューアー・文責:樋口貞幸(アートNPOリンク)
インタビュー:2012年8月19日 シェルター(アートNPOリンク仙台)

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