活動レポート|11.3 Project

福島県いわき市豊間地区で炊き出しや瓦礫撤去などのボランティアに取り組んでいた加藤翼さん。地域との深い関係からはじまった「引き興し」の活動と、その経緯についてお話しを伺った。
この活動は、アートNPOエイド活動支援プログラムの支援対象活動として寄附を募集している。
012|11.3 PROJECT「引き興し」に対する支援


アートNPOエイドの活動支援を受けてどのような活動をしたか?

加藤翼(以下、加藤)|震災後、料理人や整体師、内装職人の仲間達と福島県いわき市の豊間地区にいき、炊き出しやマッサージなど、自分たちにできる範囲でいろんな支援をしていました。僕は日頃アーティストとして活動していますが、アーティストではなく一人の人間として、一個人としてできる支援をやっていこうと考えていました。豊間地区が活動場所となったのは、たまたまの巡り合わせです。僕らとこの地とは縁も所縁もなく、共通意識としてもてるものは震災の事実だけでした。支援活動をしているうちに地域の人との交流が生まれ、さまざまな人と親しくなっていきました。そのなかで「日頃こういうことをしています」と僕の作品を紹介したときに、地域の方から、「ぜひここでやってみないか」と言っていただき、そこからプロジェクトがスタートしたんです。
僕の作品は、巨大な構造物をみんなでつくり、いっしょにロープで引っ張って転がす・起こすというもの。みんなでひとつのことをやる、時間や場所を共有するというのが、一つの大きなキーワードになっています。
僕は色々な場所でプロジェクトを行ってきましたが、今回のプロジェクトがいままでで最も地域の人たちと深く交流したものとなりました。支援を通して交流するなかで、〈カタチ〉と〈記憶〉に残るものをつくることが僕のミッションだと考えるようになりました。
いわき市豊間地区には、塩屋埼灯台という有名な灯台があります。倒壊はしなかったけど、地震による地盤沈下で灯りがつかなくなっていました。それじゃあと、数ヶ月かけてみんなで一緒に灯台をつくって「引き興し」をやろうということになりました。

「引き興し」をやることになったときの地元の方の反応は?

加藤|最初僕らは、炊き出しやマッサージ、清掃などの支援をしていたんですが、炊き出しの機会も減っていき、避難者が避難所から仮設住宅に移っていったりして、避難者の方がバラバラになっていったんです。いままでのような支援のかたちがなくなってきた頃、解体作業をしている地元の土建屋の社長さんと親しくなって、がれき撤去の現場にお手伝いとして入らせてもらいました。
家の解体、がれき撤去の現場で活動できたことが、このプロジェクトの大きな要素となります。僕らは朝から晩まで、被災した家の解体に参加し、そのがれきをダンプカーにのせ、がれき置き場でがれきをおろす作業を繰り返しました。現地または、よその地域からの解体業者、そこで臨時で雇われている元船乗りたち、復興を目指す自治体。僕らは現場を通していろいろな人と繋がっていきました。家主さんやその親戚の方が壊れた家を解体する日に立ち会い、見届けに現場へ来られたりします。その人たちとも対話をするなかで、家の柱材や梁材で灯台をつくろうと考えるようになり、僕らのプロジェクトのことや、灯台をつくる趣旨を説明し、半年間くらい現場でふれあいながら、材料を集めていきました。
普段、「なんでこんなことわざわざやるの?」とか「これはどういう意味があるの?」と、いろいろ聞かれるんですけど、このプロジェクトをやるきっかけになった土建屋の社長さんは、すぐに理解して「みんなでやるってところが気に入った」「お前は普段、『引っ張ってるヤツ』なんだろ」ぐらいの、そういう自然な感じで受け入れてくれて、こっちが驚きました。地域の人に説明する中で、「ロープってことが絆だろ!」と解釈してくれた方もいました。活動を始めた当初、地域全体が日常を超えるすごいことに直面してしまった反動で、何でも受け入れやすい状態でもあったとも思います。しかしその状態も長くは続かず、一ヶ月単位でテンションの浮き沈みのようなものを僕らは感じていました。また、地域の方々がそれぞれにもつ状況の差が、さまざまな「当事者性」をつくりあげていることも対話からわかっていきました。これはこのプロジェクトを長期的なプロジェクトにしようと思った大きな理由でもあります。
地元のお祭りが取りやめになったこともあって、2011年11月3日の文化の日に、復興祭として「引き興し」とあわせてお祭りをしようということになりました。最終的に、高さ13.4m、約10トンの巨大な灯台が完成しました。

▲「The Lighthouses – 11.3 PROJECT」写真:宮島 径

お祭りにはどういう人が参加された?

加藤|僕は地域の人に来てもらいたいと思っていたんです。ここは沿岸部ですから、山の手や仮設住宅に移った人もいれば、原発の問題もあってそもそも福島県から離れてしまった人もいる。そういうなかで、一日だけでも、灯台を引き起こす瞬間だけでもいいから、もう一度集まって、みんなで同じ体験をしてもらいたかった。状況はまだまだ厳しいけれど、その日だけでも地区に集まってきてほしいと思っていました。だから、外から人をやたら呼ぶようなことはしなかったんです。
地域の方がお祭りにたくさんの人を呼んでくれ、お祭りを盛り上げていってくれました。仮設に移った人たち、太鼓を叩く人、地元の演歌歌手、よさこい踊りのチーム、いわきは映画でも有名になったフラガールの土地でもあるのですが、そのフラガールの第一期生のメンバーも来てくれました。一緒に活動してきた仲間の料理人も、当日は料理を朝からふるまっていました。そして最後には、500人くらいで一緒に灯台をひっぱって立ち上げることができました。
地元の人が本当に喜んで参加してくれましたし、どんどん輪が広がっていくのも感じられました。いわゆる支援活動だけをしていたら、なかなかこういう形にはならなかったと思っているんです。処分すべきがれきを灯台に使うから取っておくって、やっぱり仕事を増やしてるんですよね、実質的には。単純に考えれば、大変な状況に大変なことを重ねたら、普通はつらくなるだけじゃないですか。でもその負荷がいい方向に向かったというのか、それを楽しんでくれた。
逆に僕らが支援されているようなときもありました。僕らがいないときも材木を集めてくれていましたし、木を挽くときには、地元の木材屋さんが協力してくれました。キャッチボールじゃないですけど、それを繰り返していった結果、ほんとうの意味で深く関われたと思います。なんというのか、家族や仲間みたいな感覚ですね。全然知らない人たちだとしても、みんなが大変だっていうのを共有している。家族って理由もなく心配しあったりするじゃないですか。半年間活動をしてきたなかで、みんな仲良くなっていった。すごい経験だったと思います。
もちろん、いろんなことを思われている人もなかにはいます。環境が違えば思うことも違うし、避難している人と、家がまだ地元にあってそこに住んでいる人によっても、いろんな思いがある。だから、一瞬の記憶を大事にしようと、なるべく早く解体するつもりでいたんです。でも、区長さんや地元の人が少しの期間残してほしいと言ってくれて、約1ヶ月くらい残すことになって、その間、毎日あかりを灯しました。これは本当にたまたまなんですけど、ちょうど解体する直前になって塩屋埼灯台が復旧する事がきまり、この灯台は役割を終えたかなって。

やってみて考えたことは?

加藤|いままでとはずいぶん違う。もちろん状況が違いますから、違ってあたり前なのかもしれないですけど。これまでにも阪神大震災とか、大規模災害はありましたが、小学生の時だったし、そんなに身近に感じることもなかった。いまは、何のために作品をつくるのかっていうのを、前よりもっと深いところで考えられるようになったのかなと思います。これまでだったら、作品を成立させるためにコミュニケーションをとるとか、アートがまず前提にあったんですけど、今回は人のためみたいな感覚が僕の中にありました。
実質的な支援もさることながら、精神的な支援というのか、こころの支援みたいなものが絶対に必要で、その力をアートは持っていると信じています。普段はアートが人のためになるってなかなか考えにくかったんですけど、今回実感として感じられたというのは大きかったと思います。

寄付者の方にメッセージをお願いします

加藤|もともと支援もお金もなくてもやろうって感じでしたが、ほんとうに助かりました。僕らの活動は灯台を題材に人と人を結びあわせていくものとなりました。灯台を展示している間、ニュースで見たと、東京に避難していたおばあちゃんが息子さんたちと一緒に見に来てくれたこともありました。
被災地では形に見える復興が未だ難しく、具体的にどうなっていくのか見えなくて不安な方もいます。元漁師さんで仕事を変えて働かざるをえない人もいます。家を決めて引っ越された方もいます。そうすると、どんどん地域がなくなっていくようなことにもなります。
灯台を立ち上げたところで地域が潤うわけでもないですし、なにか具体的に復興へむけて前進させられたっていうわけでもありません。しかしアートは間接的に人間関係を結びつけ、精神的なところに語りかけることができます。
地域の人たちは、もともと前に進む気満々ですが、僕らにはお祭りが一つの活力になったという実感があります。それは地域の方々から感謝されたというわけではなく、地域の方々と一緒にやった達成感です。
全員で最後に撮った集合写真をみると、みんなすごいいい笑顔で映っていて、達成感をみんなで共有できたんじゃないかなって思っています。

以上


インタビュイー:加藤翼
インタビューアー・文責:樋口貞幸(アートNPOリンク)
インタビュー:2012年8月21日 企業メセナ協議会

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