活動レポート|TSUMUGUプロジェクト

福島県いわき市、この地に古くから伝わる年中行事(郷土芸能)がある。時代とともに失われつつある郷土芸能の記録に取り組む「TSUMUGUプロジェクト」は、郷土芸能を通してその地に刻まれてきた記憶をたどり、日々の営みを掘り起こすこと、そして、そこに込められた想いを紡いでいくことを目指してはじまった。震災、そして、原発事故によって分断が生み出されてしまう状況にあって、土地の記憶を、さらには、人々をどのように紡いでいこうとされているのか、代表の田仲桂さんにお話を伺った。

伝えるプログラムインタビュー|TSUMUGUプロジェクト

活動支援プログラム「TSUMUGUプロジェクトによるいわき市の伝統芸能の記録に対する支援」
*この活動は、アートNPOエイド活動支援プログラムの支援対象活動として寄付を募集しています。

プロフィール写真


TSUMUGUプロジェクトについて、活動の経緯と、実際にどのような活動をされたのかお聞かせ下さい

田仲 桂(以下、田仲)|2011年の5月に有志でTSUMUGUプロジェクトを立ち上げました。友人知人を津波で亡くしたのと、風景が壊滅してしまったので、鎮魂をしたいという想いが自分の中に強くありました。集まってくれた人たちも、供養をするということを一緒に考えてくれたように思います。
 それと、放射能ですよね。津波で失われたものもありますが、放射能の影響によっていろいろなものが離散してしまった。それによって、土地の歴史が分断されてしまうことが、すごく怖かったんです。こういう出来事があっても記憶を未来に紡いでいけるような活動をしたいという想いがありました。活動のきっかけはその2つですね。
 1年目は、鎮魂、供養することに重きを置いていました。そこで、亡くなった人の魂や遺族を慰める「じゃんがら念仏踊り」という郷土芸能の記録をはじめました。これはある程度達成できたと思っています。映像と冊子をつくって、発信もそれなりにできたんじゃないかな。ただ、震災色の濃い記録になってしまいました。2011年のことだったので、それは自然の流れかなとは思っていますけれど。そもそも供養するための郷土芸能なので、みんなで供養できたという記憶を残すことができました。
 映像の上映会も何回かやったので、いわきに来たことがない人にも来てもらうことができました。私たちがどういう想いでじゃんがらをやっているのかを聞いてもらえたんじゃないかな。受け止めてもらえたかどうかはわかりませんが、そこで私たちの抱えているものは発信できたと思います。

じゃんがらの上映会での地元の方の反応はどうでしたか?

田仲|とりあえず映像ができた段階で見てもらいました。最初に上映したときに「いろいろ盛り込みすぎじゃない?」とか「何を撮りたかったの?」みたいなことを言われ、少し手直ししています。震災と郷土芸能をつなげて考えすぎていたのもあると思います。震災があってもなくてもやる踊りでもあるので、いまになって思うと、震災と切り離した方がよかったかなと思います。
 あと、じゃんがらは青年会ごとに分かれて踊るので、他の青年会が映っていると「なんだよ、他のところも映ってんじゃん」みたいな反応があったりもしました。それぞれの青年会がプライドをかけてやっていて、やっぱり自分たちが一番っていう思いがありますよね。私たちの説明不足もあったと思います。お互い酔っぱらってぐだぐだになっていたときに出た話だったこともあり、「ごめんなさい、変えるつもりはありません、もうあれでいいじゃん。」と、そのままにしていたりもしますけどね(笑)

じゃんがらの記録が終わってからはどういう活動をされていますか?

田仲|もうひとつのきっかけとなっている、記憶が分断されるということについては、まだ整理しきれていないんです。放射能に、どうしても向き合わざるを得なくなってしまった。向き合っていくうちに、私自身がすごく疲弊してしまったんです。いま実は、私の中で震災とか復興は影を潜めているんですよ…。震災云々じゃなくやってきたもの、たとえば郷土芸能も震災の前からやっていたし、歴史のこともずっとやっていました。そこに立ち戻って考えるようにすることで、ようやく自分自身の心の平穏を保てているという気がします。
 TSUMUGUプロジェクトの活動と平行して、「田んぼの記憶」という企画を始めたんですね。それは、失敗に終わったんですけど。じゃんがらが終わってお米の収穫の時期になったとき、福島のお米にセシウムが入ってしまって、それに対するいろんな声をいただいたんです。福島の米を売るのか、食べさせるのかみたいな感じで。対面で言われたこともあります。言ってることはわかるんですけど、私たちがここで生きてきた二千年を、お米をつくってきたという昔からの営みを、なんで否定されなくちゃいけないんだろうって感じてしまった。言われて悔しかったということもありますし、福島から声をあげないといけないっていう思いにかられて「私たちがここで生きていることと、あなたたちがそこで生きていることは同じだよね」って、ただそれだけを言いたいがために始めました。
 実際、ガイガーカウンター(=放射線量計測器)で測ると数値が出ます。そこで企画をするっていうのは、どういうことだろうって考えもしました。毎日、放射能のことばかり考えるということに、ほんとうに疲れてしまった。家族間での考え方の食い違いもあったりして、体調も崩してしまいました。福島に降り注いでしまった負の部分を、どうやって違うものに変えていけるのかなと思って、いろんな実験をしたり、人に話しを聞いてもらったり、モヤモヤしながら過ごしていました。でも、この「田んぼの記憶」が失敗したというか、本当にしんどくなってしまったのは、プロジェクトを進めていくなかで放射能にからんだいろんなことがあって、私にとってすべての原点である田んぼの風景が汚染の象徴のようになってしまったことでした。その時点で、私の中で「もう無理!」って耐えきれなくなって、なにかがパーンと弾けてしまったんです。まだその企画は始まってもいなかったのですが…。それが2012年のことでした。それから私は、なんとかして、汚染の象徴にされてしまったこの風景を、幸せな記憶で徹底的にお清めをしなきゃいけなかったんです。だから、田んぼで遊びました。踊ったり、凧揚げをしたり。地域の人たちと一緒にやっていました。
獅子舞撮影2010〜 2012年は、じゃんがらと同じように、獅子舞の記録を再開しました。このあたりの獅子舞は、鹿がもとになっていて、鹿の角がついています。三匹獅子といって3人で舞うものです。舞は全部で8種類あって、一番短い芸で15分程度、長いものだと1時間弱踊り続けるものがあります。この獅子舞自体は、大字単位に1つずつというぐらいあって、広範囲でやられていると思うんですが、いわきは後継者不足で廃絶するところもあるそうです。
 昔は、青年会が主導でやっていたんですが、人手不足でとてもできるような状態じゃないので、私たちの親の世代、60代の人たちが中心にやっています。

獅子舞の記録撮影もスムーズにできそうですか?

獅子舞撮影㈪2013田仲|獅子舞の祭りの記録は震災前の2010年から、映像作家の林僚児さん・佐藤文郎さんと一緒に撮っていますが、ありがたいことに、地域のみなさんはけっこうウェルカムな感じで受け入れてくれます。祭りの風景はもちろん、携わっている人のインタビューを、継続的に撮っています。もう1人、いわき在住の写真家の濱田泉さんも交えて、映像と写真の2本立てで進めています。
 今年は、子どもたちに写真を撮ってもらって写真集をつくるということをやろうとしています。子どもたちも獅子舞の祭りに参加するんですが、そのときに子どもたちにカメラを渡して好きなように写真を撮ってもらいました。その写真集を出版したいと思っています。完成した写真集は、回覧板をまわしてみなさんにお配りすることにしています。集落には450世帯ぐらいあるので、写真をカラーで印刷すると結構予算がかかってしまいます。その予算をどうするか頭の痛い問題ですね。

今後のTSUMUGUプロジェクトの展開予定は?

田仲|田んぼで遊ぶプロジェクトと、郷土芸能の2つのプロジェクトは続けたいですね。いろいろとつながりもできてきたので、遊ぶのはそんなに予算をかけなくても企画がつくれるかなって思います。2013年はアーティストの遠藤一郎さんに来ていただいて「未来龍大空凧」というプロジェクトをやってもらったんです。ボーダーレスな空へ皆の夢を書いた凧を連凧にしてあげるというものです。今いわきでは様々な境界が生まれています。避難している人ともともといた住民の間での軋轢や、考え方の違いによるものや。そんななか、何かボーダーレスなことをやっていけないかなと考えています。

未来龍大空凧2013

最後に、ご支援いただいた方へのメッセージがあればお願いします

田仲|気にかけてくださっていることを非常にありがたく思っています。私にみなさんの期待に添えるようなことが果たしてできているのか不安に思いつつ、申し訳なくも思っていますが、すごくありがたいです。
 これからも続けます。引き続き、見守っていただけましたら嬉しいです。

以上


インタビュイー|田仲 桂
聞き手|樋口貞幸
編集|樋口貞幸、内山幸子
文責|樋口貞幸
2013年12月21日 いわき駅前の喫茶店にて

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