活動レポート|ダンスアーティストによる復興支援活動に対する支援

震災直後からコンテンポラリーダンスに携わる者にできることを考え続けて来たジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(JCDN)の佐東範一さん。東日本大震災発災から3年を経て、活発に活動を継続しておられる佐東さんにお話しを伺った。

活動支援プログラム「ダンスアーティストによる復興支援活動に対する支援」

DSCN9454


ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(以下、JCDN)は、震災後早い段階で「「ダンスアーティストによる復興支援マッチングサイト」を立ち上げられました。その活動について、お聞かせ下さい。

佐東範一(以下、佐東)|震災後、多くのダンスアーティストたちから「東北でできることはないだろうか」と相談を受けました。JCDNとしてもなにかできないかと考えていたのですが、現実的に被災地はそれどころではなかった。まだ復旧のためのボランティア以外で何かすぐにできるような状況ではないことは分かっていたのですが、アーティストたちの何かしたいという思いをカタチにすることができないかと2ヶ月後に「ダンスアーティストによる復興支援マッチングサイト「からだとこころを元気にするダンスを届けます~からだをほぐせば、こころもほぐれてくる~」を立ち上げました。震災の3日後にブルームバーグという会社と打ち合わせがあったので、復興支援のためにダンサーが東北に行く交通費などを支援してほしいとお願いしサポートしていただけることになりました。そのおかげで、復興支援に行くダンスアーティストに交通費と宿泊費を提供することができ、のべ26組のアーティストが16地域を訪れ、避難所や仮設住宅でからだをほぐすワークショップなどを行ってきました。
 しかし、JCDNの活動は、現地に受け手になるパートナーがいてこそ成り立つネットワーク。何度か東北に足を運んだのですが、現地にパートナーがいない状況では、どうしても単発になってしまい継続した活動や広がりをつくりのが難しいという課題がありました。その時は、からだがほぐれて少し楽になったと喜んでいただけるのですが、その活動が広がっていかない。継続が難しいことにジレンマを感じていました。2年くらい次の展開を探っている状態が続きました。

JCDNでは、マッチングサイトとあわせて、「地元の民俗芸能や盆踊りを教えて下さい」という呼びかけをしておられましたね。

佐東|震災1ヶ月半後ぐらいだったと思います。盛岡の演劇関係者を訪問した際、「いまアーティストにできることはない」と言われたことがありました。支援するということ自体、考えがズレているのかもしれない。ダンスをやっている自分たちにしかできない支援ではない関わり方があるとしたらなんだろうと考えました。東北は郷土芸能がすごく多いところなんですよね。だから、その芸能を習うことから関わり方の糸口が見つかるんじゃないかと思うようになったんです。こちらから何かをしに行くのではなく、何かを受け取りに行くこと。ダンスをやっている人間だから受け取れることがあるのではと考えました。
DSCN7079 最初に、盆踊りを習いにいきました。2012年の夏頃、仙台にある河北新報社(地元新聞社)主催の「やりましょう盆踊り」というプロジェクトがあったんです。離ればなれになってしまった人たちが集まれる場をつくろうと、被災地で盆踊りをするというもので、櫓や太鼓、屋台にイスなど盆踊りに必要なもの一式を河北新報が支援していました。踊り手ボランティアも募集していたので、仙台で開催していた「踊りに行くぜ!!」の現地主催者や各地のダンサーたちと一緒に参加したんです。その時、ダンスをしにいくのではなくて、被災地の空気に触れるだけでもいいし、人と会うだけで十分なんじゃないかっていう気がしたんです。
 「やりましょう盆踊り」は、東松島で2カ所、名取、亘理、石巻の5カ所で開催され、南三陸を含め6カ所の盆踊りに参加しました。

盆踊りを一緒に踊ってくれる人たちが求められていたんですね。

DSCN7583佐東|そう。なんで踊り手ボランティアが必要かっていうと、踊り慣れている地域はすぐ盆踊りの輪ができるんだけど、踊り慣れていない地域は輪ができない。輪をつくるために踊り手が欲しいっていうニーズがあったんですよ。ようやく、ダンサーが必要とされている場が見つかった気がしましたね。浴衣を着た若い人たちがいたらそれだけで盛り上がる。もともと過疎地域だったということもあるけど、津波で家が流されたことでさらに人が分散してたんです。
 一緒に身体を動かして盆踊りを踊るだけで、いろんなことを感じるんですよね。「盆踊りに来ました」というと、「遠くから踊りにくるとは変わった人だな」と言って話が始まる。それがとっても新鮮だったんです。同じ人として出会えたというと大げさかもしれないけれど、今までは何かしなきゃと肩に力が入っていた。被災地で人に会っても、被災をされた方々と遠くから何かをしに来た人になってしまい、もどかしさを感じていました。盆踊りに参加して一緒に踊ってみて、なんというかそれでいいというか、それだけで価値があるんじゃないかなって思ったんです。
DSCN7303

JCDNのFacebookには、盆踊りの他にも郷土芸能を習っている写真がアップされていました。あれはどうやってつながったんですか?

DSCN9068佐東|震災から1年半ぐらい経ったときだったと思います。私があちこちで、東北の郷土芸能を習うことが出来ないだろうかという話をしていたら、ニッセイ基礎研究所の大澤寅雄さんが全日本郷土芸能協会の小岩秀太郎さんを紹介してくれました。初めてお会いした時に、2時間ぐらい息のつく間もないぐらい二人で話しをしました。そして一昨年の夏、小岩さんに改めてお願いして郷土芸能で受け入れてくれる可能性がありそうな方をご紹介してもらいました。 
 大船渡の郷土芸能協会の副会長で古水力(ふるみず・ちから)さん。大船渡の越喜来(おきらい)というところの「浦浜獅子躍」と「浦浜念仏剣舞」の会長さんです。越喜来にある古水さん宅を訪問して、「東北の郷土芸能を日本中の人が習いに行くというのを考えているのですが、余所の人を受け入れてもらえるものなんでしょうか」と相談したんですね。その時の古水さんのお話しが非常に面白くて。午後3時くらいにお会いして、夜中12時すぎまでお話しを伺っていました。古水さんとの出会いが大きかったですね。
 東北の沿岸部の郷土芸能は、岩手、宮城、福島の3県で小岩さんが把握しているだけでも2000団体以上あるんだそう。各地区、集落ごとになんらかの芸能がある感じです。古水さんとお話しする中で、東北の郷土芸能は、震災のあるなしに関わらず後継者も減っているし下火になっていたことが分かりました。中学生ぐらいまでは祭に参加するけれど、高校生になると集落を出て行って、就職したら戻って来ない。担い手世代がいなくなっているのだとおっしゃっていました。もう何十年も、郷土芸能をどうやって引き継いでいくのか模索していたと言います。毎年やっていた祭を2年に1回にするとか、三年祭にしたりだとか。その土地につないできたものを、次につないでいく方法が見つからない。もちろん、若者が多くて、すごく盛んなところもあるにはあるんですが、多くのところが震災以前からそういう状態になっていたそうです。
 明治まであった祭が衰退していたり、戦争や高度経済成長期やらいろいろあって途絶えてたものもある。古水さんが20代のころに仲間たちと復活させたのが「浦浜念仏剣舞」。40歳になってから「獅子躍」を復活させようと、車で片道2時間かけて師匠のところに20年間習いに行って、ようやく「浦浜獅子躍」を復活させたそうです。
 20代のころは郷土芸能がすべてみたいな生活を送っていたと伺いました。毎晩のように青年会で集り、振りの手のひらの動きについて、上に向けるのか、下に向けるのか、斜めなのか横なのかっていうことだけで朝まで酒を呑んで論争すると。鹿踊りは8人でやるんだけど、当時一緒に習っていた8人が久しぶりに集まって総踊りをやったら、基本は一緒なんだけど、全然違う踊りになっていたそうです。同じ師匠に習って始まったんだけど、それぞれちょっとずつ違うんだそう。たとえば、足を上げる動きだけでも、ポーンと上げる人もいるし、スッと動かす人もいる。その人の性格だったり、身体的な違いで踊りも変化していった。ひとつの踊りでも、中心になっているのが誰かによって全然違う踊りになっているんです。同じことを引き継ごうとしても、その人なりのリズムとか、早さとか、解釈とか、教え方で違ってくるんです。
 古水さんのお話しを伺うと、自分がなんとなく思っていた郷土芸能と全然イメージが違うことがわかりました。完全にアーティスト。コンテンポラリーだし、コミュニティダンス。いまごろで恥ずかしいのですが、すごい発見をしたような気がしました。

他にどういうところに習いに行ったんですか?

佐東|大槌で出会った若い女性の方で、「鶏子舞」(とりこまい)っていう郷土芸能を守ろうとしている人に会いました。鶏子舞は、神楽の12演目あるうちのひとつ。彼女のおじいさんが神楽のお囃子をやっていたんですが、お父さんの時代になると神楽が途切れたそうなんです。彼女は子どもの時に踊りを習っていたこともあって、震災前から子どもの頃に一緒に踊っていた友人たちと大槌の子どもたちに踊りを教えていたそうです。
DSCN1265 陸前髙田と大船渡の境にある、末崎町には一週間滞在しました。そこの保育園で、5歳の子どもたちから「七福神」を習いました。20分ぐらいの芸能なんですが、子どもたちは3歳からやっているから、踊りが完全に身体に入ってるんですね。僕らが聞くと難しい唄なんだけど、子どもたち全員が声を張り上げて歌えるわけ。お店とかで何しに来たの?と聞かれ、保育園の子どもたちに「七福神」習いにきたと答えると、へえー!と驚かれながらも、自分も踊れるんだとか、あそこの踊りとこっちの地域の踊りは違うとかすごく盛り上がるんです。踊りがある種の共通語だと思うぐらい。だって各地区に違う郷土芸能があり、子どもから高齢者までみんな知っているんだから。
 気仙沼の唐桑という地区で「七福神」をされているというお母様たちだけの団体があり、そこでも踊りを教えてもらいました。代表の人はいま86歳くらいと言われていました。その代表の方が20歳ぐらいの時に仲間たちと七福神を習い始めて66年。今は多い時には年間100ステージぐらい招かれて踊っているそう。七福神という郷土芸能は東北各地にあって、子ども版もあれば、男性版もあるそうです。歌詞はどこも基本的に一緒なんだけど、地域によって踊りが全然違うらしいんですね。

今後はどういう展開が考えられそうでしょうか?

佐東|この「習いに行くぜ!東北へ!!」で各地を回っている中で支援という意識がなくなって、ここで出会った人たちとなにか面白いことができたらいいなって思うようになりました。古水さんとは、フェスティバルみたいなことをやりたいねと話しています。なんだかバリ島にいるような気分になったんですよ。集落ごとに踊りがあってね。鹿踊りだけでも50数団体あるし、それぞれ違う。そのうえ、奇抜さやオリジナリティ、クオリティの高さは世界のどこでも通用する。バリ舞踊やフラダンスを習いに世界中の人が現地を訪れるように、東北の芸能を世界中の人が習いにくるということってありえるんじゃないかな。国際的なフェスティバルを開催して、世界の芸能を招いて互いに刺激しあい、そして世界各地から東北の郷土芸能を習いに来るようになったらおもしろい。
 支援するとか、されるということではなくて、次につながることを一緒に考え、創っていく段階に入った気がします。  

以上


インタビュイー|佐東範一
聞き手|樋口貞幸
協力|内山幸子
文責|樋口貞幸
2013年12月 アートNPOリンク事務所にて

Comments are closed.