活動レポート|女川常夜灯

宮城県女川町では震災以来、お盆の時期になるとたき火を囲んで語り合う「女川常夜灯」がひらかれている。この女川常夜灯を企画しているのが、建築家や美術家、デザイナー、編集者らがメンバーに名を連ねる一般社団法人対話工房だ。対話工房のメンバーでもあり、京都市立芸術大学の教員でもある現代美術家の小山田徹さんに、女川常夜灯と学生の関わりについてお話しを伺った。

活動支援プログラム京都市立芸術大学学生(小山田徹教授指導)の女川常夜灯参加


▲©対話工房2015


女川常夜灯を始めるに至った経緯についてお聞かせください

小山田 徹(以下、小山田)|震災直後は東北の知り合いと連絡の取れない状態が続きました。半月ほど経ってようやく連絡がつき、知人とその家族の安否を確認することができました。その知人というのが、いま一緒に女川で活動している建築家の海子揮一さんです。彼は、住んでいた自宅アパートが全壊指定をうけ避難所生活を強いられていましたが、自分のこと以上に、震災の4年ほどまえに設計した女川町にある『ダイヤモンドヘッド』という飲み屋のオーナーのことを心配していました。ほどなくしてオーナーの岡 裕彦さんとご家族の無事は確認されましたが、自宅とお店は完全に流されて、小学校で避難生活をしている状態でした。海子さんと岡さんは、被災状況にあってもダイヤモンドヘッドが担ってきたような地域の中の居場所が必要だと、仮設でもできる屋台をつくりたいから相談にのってほしいと僕に連絡をくれました。
 そこでプランをもって5月に女川を訪問し、そこから女川とのつながりがうまれ、活動が始まったんです。僕は、初めてお会いした岡さんのパーソナリティに完全にやられてしまい、彼の手助けをしたいと思うようになりました。
 その少し前、僕の務めている大学の学生たち5〜6人が自主的に震災について考えるグループを立ち上げ、いろんなことを話し合っていたんです。ボランティアにいくべきかどうか、なぜ行かないでいるのか、そもそもボランティアとはなにかとか、人様のコミュニティに押し掛けていってコミュニティ活動をするというはどういうことかなど悶々と考えている学生たちでした。うちの大学には、テーマ演習という学生が提案して授業をつくる制度があるんですが、その学生たちと『緊急災害時における共有空間』をテーマに授業をしてみようということになりました。そこで女川との関係性をなにかかたちにしてみようと、同調してくれた教員と一緒に、夏休みの期間に学生たちをつれて女川にいくことにしました。総勢45名ぐらいが大型バスで向かいました。
©road izumiyama 2012 手遊びのことを「てっさび」というんですが、テーブルに面と向かって座って対話をするのはお互いに緊張してしまうので、地元のおばあちゃんたちになにか手仕事を教わりながら対話する「てっさびカフェ」という企画がうまれました。それが芸大と女川の関わりの始まりです。
 その活動を取材に来たのが、震災リゲインの相澤久美さん。相澤さんとは10年来の知り合いでしたが、久々の再開を果たしました。取材を受けるうちに、なにか一緒にやろうということになり、縁があって集まったメンバーたちと「対話工房」を立ち上げることになりました。個人で助成金を受けるのは難しいですよね。そこで、法人格をもった団体にして、助成金や寄付を受けながら地元やアーティストの活動に振り分けていく役割を担うことにしたんです。それが11月のことです。
 対話工房の最初の仕事は、女川町地域医療センターの近くにできた仮設の「おちゃっこクラブ」を改装することでした。改装費に使えない助成金を受けていたので、カウンターづくりや壁塗りをワークショップ仕立てにして実施し、翌3月にオープンにこぎ着けました。女川町復興連絡協議会やダイヤモンドヘッドの常連さんたちとの関係もでき、これからのことを話し合っていくなかで、ふと「たき火」が話題にのぼったんです。
 震災直後はたき火が命綱だった、会議を招集しなくてもたき火の前でいろんなことが決まっていったがいまはそれがなくなった、仮設に入るようになってコミュニケーションが減っていったというんですね。その話を聞いて、たき火を中心とした、コミュニケーションの場をもう一度つくれないかと考え、そこで出てきたのが「女川常夜灯」というアイディアでした。

©hirohiko koyamada 2012.jpg
▲©hirohiko koyamada 2012

女川常夜灯ではどんなことをされているんですか?

小山田|震災から1年半後の8月に第1回目を行いました。当時は、まだ家々の基礎が残っていたので、地元の方々が集まって、それぞれの自宅の敷地で小さなたき火をすれば、もとの街のかたちが見えるんじゃないかと、住民にたき火装置を配ってたき火をしてもらいました。©hirohiko koyamada 20121年半経って少し落ち着いてきたときだったので、多くの方々が祈りを捧げようと集まってくれました。80世帯、200人以上の方が参加してくれました。仮設住宅に住むようになって近所の人たちと出会う機会が少なくなっていたこともあり、久しぶりにもとの場所でお隣さんやご近所さんに会えたと感謝してくださる方もおられました。お互いの痛みをわかちながら、近況についても語り合えたことが一番大きかったと思います。学生たちが聞き役になっていたこともあって、胸の締め付けられるような話から、最近の喜ばしい出来事まで、いろんな話ができました。私たちになにができるというわけではありませんが、聞き役になれたことが良かった。学生たちにとっては、自分の考えを問い直す意味でとても重要な機会になったようです。

なるほど、地元の方もさることながら、学生さんたちにとっても、貴重な経験になったんですね。

小山田|学生たちにしてみたら、対話工房という大人たちが企画したものに吸い寄せらるように参加することになったわけですが、女川に着いてみるとダイレクトな付き合いになります。いつの間にか、ボランティアという不特定多数の存在から、顔の見える関係になっていきました。誰それという個人を助けることが間接的に地域社会と関わるということだと自分たちで見つけだしていったんです。いや、支援にいったというよりも、どちらかというとこちらがお世話になっているような感じかな。地元のパワフルな人たちに迎えられ、屋外でキャンプしていると差し入れをしてくれたり。勉強になることの方が多いんですよ。支えにいくつもりだったのが、実は支えられているのは自分たちだったということに気づく。そうやってみんな女川が好きになっていきした。その思考の変化ってすごいと思います。
 同じことが京都で起こったら、果たして自分たちは濡れたもので火を起こすことができるだろうか、家や家族を失ったなかで日々の生活を立て直す工夫とパワーを持てるのかと、考えさせられることが多い。学生たちと話をしていて思ったのは、生活を助けることはもとより不可能で、ただ共有しながら、自分たちの日々の生活をどう是正していけるのかを考えるために活動しているということでした。ある意味、それが減災ということでもあります。これからの社会の土台を考えるうえで最も大切なことを経験を通して思考し続けています。それが、共有空間というものの必要性とつながっていくんです。
 コミュニケーションがなかったら地域は成り立たちません。大学の中で学生たちは自主的なコミュニケーションをとれているだろうか、与えられるものだけを享受してはいないか、自分たちの生活しているところやふるさとでなにが起ころうと、いろんな関係性を創り出して対応できるかを考える。出会いの場や話し合う場所が必要であれば、自分たちでつくっていけばいいということだと思います。
 4年も経つと初期メンバーは卒業し、社会人になっています。いまだ女川の方々との付き合いはとぎれていなくて、来てくれたり連絡を取り合っている人もいます。女川の方々が、あの子は就職できたかなとか、こっちで地震があるとすぐに連絡をくれたりと心配してくれるのは、ありがたいことですね。

©対話工房2015 開催前の学生と地元のみなさんとのミーティング写真
▲©対話工房2015「開催前の学生と地元のみなさんとのミーティング」

以上


インタビュイー|小山田 徹
聞き手・文責|樋口貞幸
2015年9月8日 omnibus柴洋にて

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